転載です。


株式会社オ○セン

−まえがき−

お待たせしました。「告発」の件、完成いたしましたのでここに発表致します。

どっちかって言うと「告発」よりも「告白」と言う題名にしたほうが良かったかも

しれません。いずれにせよ、内容に関してはまじりっけなしの100%ホンモノ、

全て事実のみを記しました。諸先輩方、会社とはこんなものなんでしょうか?ひと

の人生なんてこんなものなんでしょうか?

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一年ほど前の事。
超氷河期と言われた就職戦線。
内定が取れず、かなり初期からやる気をなくしてこの頃は会社も殆ど回らず、
素晴らしく退廃的な生き方をしていました。年も開け、東京ドーム脇のプリズム
ホールなる場所にて就職説明会が行われ、百数十の「どんな役立たずでもいいから
頭数が欲しい」企業と、数百数千の「社長がフンコロガシでもミトコンドリアでも
いいから雇って欲しい」落ちこぼれ共とそれら烏合の衆を冷笑しつつカメラを向け
る糞メディアの下っぱ共が混ざり合い、カオス的な雰囲気の中に私も同化していま
した。いくつかの会社と面接し、最後に面接したのが今回の主役である「オOOン」
という会社でした。配布された企業一覧表を見て「まあまあの待遇(完全週休2日
制・初任給17.5万円・賞与・保健各種)」だったので、とりあえず面接を重ね、
最終的に内定をもらいました。社長は「G閑」と言う名で、 Mr.ちんと見栄晴を
足して二で割ったような顔でしたがここでは関係ないです。CD-ROMソフトの流通を
商うマルチメディア(死語)の一翼を担っている会社だそうです。

ともかくも就職のめどが付き、家族からも祝福され、4月3日をもって新たなる
生活が始まることになりました。・・・蟻地獄のような生活が。

形ばかりの入社式が終わり、早速仕事が始まりました。「まぁ、初日だし、今日
位は早めに切り上げて歓迎会でもやるんだろう」なんて甘っちょろい考えをしてい
た私が間違っていたんでしょう。定時を過ぎ、8時過ぎ、9時過ぎても皆一向に
帰る気配を見せません。10時前になってやっと解放。疲れた身体を引きずるよう
にして帰宅。しょっぱなから後悔の念が目の前をぐるぐると回り始めました。

2日目。先輩が社長に殴られている。この社長、とりあえず怒鳴ったり殴ったり
していないと気が済まないようで、職場にいる間中罵声が響く。先輩はすっかり
イジメられっ子の顔。今日も解放されたのは9時過ぎでした。(この後退社する
まで帰宅時間は午前1時前後)

3日目。適応能力とは恐ろしいもので、こんな環境にも少しずつ慣れて来る。
ただ仕事内容も日を追って厳しいものになる。便通なし。

4日目。3日目と同じ。この頃より頻繁に鼻血が出るようになる(疲れると大量
の鼻血が出る体質)。先輩と話しているうちに、やはりここはdでもない所である
ことが分かる。以下に箇条書きにすると、

・休日が実質2週間に一度。
土曜に出勤するのはまぁ仕方の無いこと。でも日曜だけは骨休めをしたいのが人情
というもの。でも休めない。何故かというと、この会社は近所でCD-ROMショップを
経営しており、日曜は交代制で新入りにバイトをさせているのだ。効率的に人を
こき使う能力に長けている。

・昼食時間がない。残業代もない。
慢性的に人材不足のため、社員が一斉に昼食を取ることが不可能。それぞれ勝手な
時間に食事をしている。コミュニケーションの場は無し。能力以上の仕事を押しつ
けておいて社長はさっさと御退社あそばし、残る社員はタダ働き。

・ボーナスが出ない。
?。どうやら採用後に方針を最近流行りの年俸制に変更したらしい。それを考える
と、この給料は仕事の内容に比べてはなはだ貧弱なのではあるまいか?

・交通費も出ない。
社長の言い分を聞いてみましょう。「特別優れた能力もないのに、なんでただ遠く
から来ているというだけで余計な金を払わなくちゃいけないんだ馬鹿野郎。」
いゃあ、全くその通りです。早速会社の近くに家を借りなきゃ。(住宅補助は
当然の如く出ない)

話をしている先輩のまなこはヘドロの様にどろどろ。話を聞く私の気分もどろ
どろ。ついでに排せつ物もどろどろ。夕飯もろくに喰えなくなった。

5日目。「事件」起こる。同期の「U野」さんが10時近くなっても姿を見せ
ない。どうしたのかと皆が思い始めたとき、電話のベルが高らかに鳴り響いた。
どうやら警察かららしい。「U野さん、電車に巻き込まれたそうです。今警察の方
に行っているようです。」動揺したのは私だけ。他の人は(少なく無くてもうわべ
は)平然と仕事を続けている。その後間もなくして先輩と共に外回りに出る。早く
詳細を知りたい。気もそぞろのまま帰って来ると、やはり職場は静かだ。妙に
社長が浮いて見える。苦笑いのような顔をしてへらりと言った。
「U野さん、亡くなったってさ。」

てめぇ、ひと一人亡くなってるのになんだその態度は・・・!!

そりゃぁ、私はフリークスや屍体にも興味はあるし、凄絶な写真を見てウヒフヘ
とか思うことも大いにある。でもそれは「写真」と言うフィルターを一枚通して
いたり、まったく全然赤の他人であったりするからそう思えるのだ。つい前日まで
斜め向かいの席に座り、会社のために自分のために仕事をしていた人が、いまは
何の役にも立たない有機物の塊と化している。憐れだ。いくら私がガイキチとは
言えその現実の前には粛然とし、故人の冥福を祈らずにはいられない。U野さんは
専門学校を出たばっかりの20歳で、顔がちっこくて、ショートヘアーの可愛い
女性だった。ほんの数日しか話すことが出来なかったけれども、万人から好かれ
そうな性格で、私より何万倍も有益な人間だった。この会社に内定したときから
社内でアルバイトをしていたそうだが、最近は精神的な疲労が相当たまっていた
ようで、前日は明らかにおかしかった。目に見えない誰かに助けを求めているよう
だった。何か私が声を掛けてあげれば、彼女は電車に飛び込み、無残に肉片を晒さ
ずに済んだのかも知れない。己の業の深さを激しく悔いる一日であった。

6日目。青々と澄み渡った空が物悲しい。ごんごんと電車に揺られて2時間半。
今日は告別式の手伝い。やれ設営・やれ受付・やれ道案内。故人を偲ぶ暇さえなく、
気がつけば焼香も出来ずに式がおわり、涙の一つさえ出なかった自分が情けなく、
悔しい。彼女の父は事件直前まで一緒の電車に乗っていたそうだ。言いようの無い
虚無感が頭の中を支配する。一番の親不孝、それは親より先に「死ぬ」ことだ。

7日目。とりあえず休めることになった。すごく疲労しているはずなのに眠る
事が出来ない。飯もろくに喰えない。記憶がトぶ事が多くなる。身体と心のバラ
ンスが崩れていく。

8日目。仕事。仕事しごと仕事。ひと一人減るとしわよせがどんどん来る。早く
も次の「U野」さんを捕まえるべく、社長は面接をどんどんやってる。私が言うの
も何だが、不思議なほど使えない奴ばかり面接に来やがる。これもひとえに社長の
「人徳」とやらによるもんだろうよ。どうでもいいが面接に来た奴にまで怒鳴るの
は止めてくれ、耳ざわりなんだよ。

9日目。飽きるほど仕事。社長さんよ、関係ないが、ユニマットのコップやら
マドラーやらは使い捨てのはずだろ。なんで俺たちが洗って再利用しなきゃいけ
ねぇんだよ。それにコーヒーが薄いだぁ?たまには自分で入れてみろってんだ、
このぼけなす。

10日目。いきなり社長が「おまえは宅建を取れ。必ず取れ。会社が終わって
から毎日学校に行け。徹底的に行け。修行しろ。」とか言いだす。ほぉ・・・。
それと俺がやってる仕事とどんな関係があるの?金は出してくれるの?残された
俺の人生はどうなるの?あんたはユニマットは後生大事にリサイクルするけど、
部下なんか捨て駒、使い捨て、生かすも殺すも自分次第だと考えているんでしょ?

結局こんな生活を続けているうちに、食事は取れなくなり、目は落ち窪み、手は
震えが止まらなくなり、気がつくとぶつぶつ独り言を言っては「ふフフ」と微笑む
自分がいました。10日余りで8Kgの望まざる減量に成功し、幻聴が聞こえる段
になって遂に退職を決意し、3週間勤め上げた末にこの蟻地獄から脱出することに
成功しました。数日後に銀行に給料が振り込まれていましたが、その額はこれを
読んでいる皆様の想像よりも更に低いものであると断言致します。

この会社は1995年度に4名の新入社員が入社しましたが、1人はノイローゼ
の挙げ句電車に轢断され、今は小さな骨壷の中。もう1人は現実に堪えきれずに
心身ともに崩壊し、今は自宅で精神を鍛える療養を続けています。残る2人のうち
1人は入社前より糖尿病を患っていました。このままの状態では恐らく彼は倒れ、
第3の犠牲者になるでしょう。でも社長はそんな事は気にしません。また新しい
人間を雇えばいいのですから。告別式の帰り道、社長はこんなセリフを吐きやがり
ました。

「惜しいことしたなぁ。デートに誘っときゃ良かった。」

株式会社オOOンは数年後にはCD-ROMの流通を担う大企業に発展しているでしょ
う。日本経済新聞に「今日の凄腕社長」として「後閑(”ごかん”と読みます)」
の名前も載ることでしょう。でも皆さん、忘れないで下さい。彼は多くの人間の
犠牲の上に成り立っていることを、一人の女性の屍の上にその地位を築き上げた
ことを。



この人殺し。

(完)

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