なぜ、今 これほどまでに教育の現場が荒廃しているのか…

いじめ問題をみんなで語り合おう。      

 先日、和歌山でいじめ問題を告発したサイトが原因で、校長が辞任したことが話題になりました。このことについて、一部の人たちは、ネットによる校長に対するイジメであると批判する声も多かったことは事実です。

 多い意見としては、ネット上で息子の名前と写真を公開することの常識を疑う。とか、これはケンカであって、イジメではないなどといった意見が批判意見の中心でした。

しかし、私はこの問題についてnewssvd01.biglobe.ne.jpのjapan.jijiニュースグループで以下のとおり発言しました。

子どもの写真を掲載するかどうかは、本人の自由意志です。もしかしたら子どもがか
まわないと言ったかもしれません。
顔写真を出すことで話の信頼性を深めるために必要か考えられたのかもしれません。



いじめの問題は、非常に複雑な背景があり、いじめられるよりもむしろ、いじめる生
徒の方に深い問題を抱えていることが多いと思います。

私は、和歌山のお父さんは、いじめそのものよりも、学校側に誠意のある対応が見られなかった
から 教師が形どおりの対応ことに怒りを感じているように思います。

親と共に悩む姿勢が教師の側にあったなら どんなに腹が立っていても ここまで問
題が大きくなることはなかったと思うのです。

校長が辞職したことを、同情的に受け止めている方が多いですが、 私は、これくら
いのことで辞職する程度の度量しかないのかと驚きます。

校長などという人物は、多少のことに動じてはいけない。 どんなに問題が大きくな
ろうとも、自分が正しいと思うのならとことんやったらいいのです。真実が勝つのだ
から。

こういった困難を前に、簡単に辞任を選ぶような人物が教育のトップになれることも
私はおかしいと思う。

教育の現場の情報公開が進まないのも、こういった根性のない人が多数いるからでは
ないでしょうか?

学校がおもしろくないという子どもが多い中で、学校が変わるために、こういった告
発という動きは、私はどんどんやるべきだと思う。

私の住んでいる高槻では、情報公開条例による内申書の開示の運動が盛んです。そう
いった運動をする方に対して、確かに
「変わった人たちである」という考え方をする人もいる。 

どうも日本人は、自己主張が強い人間を調和的でないと反発する向きがありますが、
困ったことがあって、それを解決するために立ち上がることは決して悪いことではな
いのです。 そこに、多少の失敗があったとしても、私は、立ち向かう人をすばらし
いと思います。

そして、もっと自由な考え方を多くの人ができるようになったときに、世の中は変わ
ると思います。


 この意見を載せると、多少の反論はありましたが、確かに校長が辞任したことはおかしいという意見もあり、大勢が校長同情論から、親の立ち場になれば、立派な行動であるという意見に傾いたような気がします。

 いじめる生徒がなぜ出てくるのか? それは、放っておいたら何とかなることでは、現代においてはなくなってきています。それほど教育の現場がおもしろくないのでしょう。

 多くの父兄が「今の学校はおかしい。こうして欲しい」ということを声を出していくには、ホームページは一つの大きな武器だと思います。

悩んでいるのは皆さんだけではありません。 ぜひ、声を出して世の中を変えていきましょう。

 

 この問題の会議室