訳者(Vlad)はペトロフ氏ご本人から本稿の翻訳、およびInfoVlad.Netでの日本語版の公開についての許可をいただきました。訳者の希望を快諾してくださったペトロフ氏に感謝の意を表します。


サイバースペースでの北朝鮮
レオニード・ペトロフ博士
(訳はVladによる。原文はこちら、またはこちら

北朝鮮の地球規模のコンピュータ・ネットワークへの最近の参入は、共産主義圏の崩壊以後、宣伝扇動活動で最もおどろくべき発展の姿のひとつである。冷戦による鬱積した挫折感と、地球規模の統合という新しい世界との仮想の架け橋という考え方そのものは、インターネットユーザーの多大の関心を呼び覚ます。ある人々は興奮し、また他の人々をぞっとさせるものである。北朝鮮はコンピューターと電気通信技術の最先端を使用することで、スターリン主義者の醜さをもつこの東洋の独裁制の古典的なサンプルは、地球規模の情報マーケットで有能なプレーヤーとなることができるのである。

朝鮮中央通信社 (Korean Central News Agency: KCNA) はすでに日本で公認ホームページを始動している。そして現在では他の国々(オーストラリアを含む)に20もの親北朝鮮サイトが存在している。しかし、これは朝鮮民主主義人民共和国 (DPRK) が国際社会にとって、より透明になるということを意味するのではない。北朝鮮公式サイトの制作者は単に「平壌タイムズ (Pyongyang Times)」、「人民朝鮮 (The Peoples Korea)」、「朝鮮 (Korea)」、「今日の朝鮮 (Korea Today)」、あるいは外国語で発刊されている宣伝用定期刊行物をまる写ししているように見える。
北朝鮮の差し迫った現実に意識が向けられることはほとんどないのである。
そのかわり、幸せな労働者と農民、革命精神旺盛な知識人と、完全無欠なすばらしい指導者のイメージが毎日の出版物を占めている。これら陳腐な文句は1996年、鉄のカーテンの後ろからサイバースペースへの道を見出したのである。

深刻な外貨不足に苦しめられている北朝鮮政権が、こういう冒険を遂行する目的と効果は疑問である。
公式サイトは明らかに、国内利用のために作られたものではない。
北朝鮮の人民が個人的にパソコンを所有し、インターネットに接続するなどということは、技術的にも保安上の理由からも、想像できないことである。韓国人ネットユーザーはこれらのサイトが第一に呼びかけている人々であるが、彼らは北朝鮮サイトへのアクセスを不法とした韓国当局にひどく落胆している。
北朝鮮のホームページに無際限にアクセスすることのできる好奇心あふれる外国人、または懐郷にふける国外居住朝鮮人は、このあけすけなプロパガンダと、慎重に配信制限されたおせっかいなスタイルに感銘を受けることはないだろう。
海外の北朝鮮代表者はまた同様に、未知の人々から送られてくるメッセージへの返答を避ける。電子メールによる、どんな対話の機会をも無視するのである。

平壌は潜在的な投資家を誘惑するのに夢中である、という推測は妥当なものかもしれない。しかし、インターネットにあるものを注意深く分析すると、この推測と現実の政治との間にある、はなはだしい矛盾が明らかになる。やかましく宣言された(しかし決して自国民には明らかにされていない)外国資本誘致戦略にもかかわらず、北朝鮮の公式の思想は依然、国際社会と地球規模の経済統合という考え方の神経を逆撫でしている。北朝鮮とインターネットとの関わりの発端から現れたこのような矛盾は、北朝鮮の政治と北朝鮮のリーダーたちが明確な作戦を持っていないという、当惑すべき特徴なのである。

 

1:はじめの一歩

1990年まで、北朝鮮は自給自足と独立独行の思想に固執し、電気通信システムを開発することにはさほど興味を抱いてはいなかった。北朝鮮社会の極端な秘密主義にとっては、いかなる情報交換プロジェクトもつねに障害であった。
朝鮮戦争(1950-1953)開戦時から適用されたアメリカ政府の経済制裁は、北朝鮮を他の国々から孤立させるのに効果的であった。1995年1月になってはじめて、合衆国国務省 (US Department of State) は電気通信企業に、以前の敵に対してサービスを供給することを許可する、という政策に転じたのである。
1995年4月10日、AT&Tは西側から北朝鮮に業務を拡大した初めての企業となった。

個人向けと商用長距離のサービスのほかに、AT&Tは北朝鮮へのデータ通信サービスの提供を計画した。この計画にはソフトウェア定義ネットワーク国際サービス(Software Defined Network International Service)、キャンパスサービス(Campus Services)、それから中程度の顧客のための、さまざまな高帯域利用が含まれた。
しかし、直接通話はアメリカから平壌市のみが利用可能となった。北朝鮮の首都以外の場所に電話する場合は、いぜんとしてAT&Tのオペレーターに取り次いでもらう必要がある。世界中の国々(旧共産圏を含む)にとって、北朝鮮の電話回線網は、いまだに閉鎖されているのである。

「わが社はアメリカと北朝鮮の人々が、自分たちの人生に特別な人たちと連絡を取るのに役だつサービスを提供できるようになったことを、喜んでいる」とAT&T副社長のショーン・ギルモア(Shaun Gilmore) 氏は語った。このような感傷的な発言からして、ギルモア氏はおそらく、北朝鮮の人民が外国人(特にアメリカ人)と検閲なしに接触することが許可されておらず、またこのような特権を持っている人々のグループは悪名高いほどに制限されている、ということについて、おそらく気づいていなかったのだ。
したがって北朝鮮への長距離通話を開始するということそのものは、北朝鮮との情報交換にとって、それほど重要な打開策ではない。

北朝鮮国内の電話サービスについては、19980年代まで北朝鮮は自動電話基地 (Automatic Telephone Stations: ATS) を国内の主要な二つの都市にのみ設置していた。平壌と開城である。
これ以外の地域からの通話はオペレーターを介してのみなされた。 平壌で一年間過ごした旧ソビエトの留学生からもたらされた情報によれば、首都においては、アパートに個人回線があることは異常なことではなかった。しかし周辺都市では稀であり、田舎ではほんとうに贅沢なものであった。
国営企業と同様、管理、教育、産業機関は、その所在地にかかわらず電話を充分に使用していた。
ソビエトのやり方を模倣して、朝鮮労働党(KWP)および北朝鮮政府の高官は、超短波(UHF)を使用した特別な電話サービスを利用した。これは特権を与えられた者しか使用することのできない独立した通信網であり、異常事態あるいはトップリーダーの指示が必要と思われる重要な通話を可能にするために開発されたものである。

電気通信技術とサービスについてのいくつかの重要な改良は、1994年7月の金日成の死の衝撃と、何年も続いた破壊的な洪水が国全体を前例のない経済危機に陥れたこととは関係がないだろう。
国内経済を引き上げるため試みが、ねばり強くもあまり効率的ではなかったため、諸外国との経済的な絆が即刻確立されることが必要となった。そのような新しい状態で、コミュニケーションの問題が出たのは必然であった。
北朝鮮のすべての国営企業と機関は電話およびファックス番号を持っていたものの(誇らしげに名刺に書かれていた)、直接の通話やファックスで連絡を取ることは事実上不可能であった。これらすべての不完全で不便な方法のかわりに、非常通信の際に唯一使える手段はテレックスだった。この比較的古風な通信は、組織を統制する上で一つの重要な利点を維持した……通信のコントロールと干渉の能力である。

世界と体制の両方が、いっそう洗練されたコミュニケーションの方法を必要としたのである。1995年11月29日、70年代に架設された平壌とソウルを結ぶホットライン電話にくわえて、国際連合開発プログラム(United Nations Development Programme: UNDP)は北朝鮮の指導者とニューヨークの国連司令部とのコミュニケーションを容易にする方法を模索した。
平壌の国連代表ファローシュ・アキチャード (Farouche Akichad) は衛星経由で、定期的(一日に2〜3回)に電子メールによる連絡を行うようになった。しかし、UNDP代表者の個人的な許可なしでは、誰も北朝鮮と連絡を取ることはできず、このコミュニケーション方法はいまだ排他的なままである。

北朝鮮の電話回線を使用してデータの送受信を行うねばり強い試みが、日本のビデオカメラオペレーター 、タツオ・サカイによって着手された。
この5年間、彼は北朝鮮を何度も訪問し、北朝鮮に強い愛着を抱くようになった。彼は北朝鮮を「中国の田舎を思わせる。北朝鮮の生活水準は現在の日本とは比較にならない。むしろ、私の記憶にある40年前の日本に似ている」。
彼は1996年12月に日本に帰国し、北朝鮮に関する最も魅力的なサイトの一つを開設した。技術的な問題に悩まされながら、タツオ・サカイは紹介文を書いた:「私は去年の6月、平壌から日本のインターネットサーバーへ接続しようとしたが、できなかった。電話接続の品質が低すぎたため接続できないのであった。東京のBBSには2400bpsのモデムでアクセスすることができる。しかし平壌のモデムはその1/4以下の速度でしか接続しない。私の会社は平壌にオフィスを構えているため、いくばくかの情報が配信できれば、と望んだのだが失敗であった。インターネットが北朝鮮には事実上存在していない理由を見たのだった。ところで、私は北京のホテルの部屋からは14,400bpsでインターネットに接続することができる」

タツオ・サカイのホームページは「北朝鮮はあなたを歓迎します!」と題され、つぎのような言葉で始まる。「これは日本のビジネスマンの視点から書かれています。これは北朝鮮公認のホームページではありません」。
しかしながら、このサイトは北朝鮮当局、もしくは日本の親北朝鮮関係者が直接のスポンサーになっていると信じられている。このサイトは最初から日本語版と英語版だけがあり、おもに好奇心からやってくる外国人向けのものである。このサイトで提供されている多くの資料は北朝鮮の観光情報、流行の音楽と短いビデオクリップである。最近のマルチメディア技術の手法を用いて作られたこれらの資料は、金日成主義者のプロパガンダと観光の呼びものと、驚くべきあいの子なのである。おそらくは、この過去の共産主義的異国情緒のために、多くの人は中国、ロシア、そして現在の北朝鮮を訪れようと思い立つのである。
平壌は直ちに、ウェブページが観光事業からより多くの収入を得るための完璧な道具であることを悟った。最初の4カ月、タツオ・サカイのサイトを訪れたインターネット・ユーザー67,000人であった。現在この数は20万を越えている。

インターネット上における彼らの活動はさらに活発になり、北朝鮮は朝鮮問題に焦点を合わせた情報媒介手段を、特定の外国サイト(アメリカ、カナダ、オーストラリア)で使用することに成功した。どちらかといえば、これらのサイトは北朝鮮の政治的見解を広告するようには意図されていないものの、しかし新たに提案されたビジネスの機会を広告することにおいて大変役立つにもかかわらず、そのような方向にも向けられていなかった。例えば、1996年10月13日〜15日に開催された羅津・先鋒経済特区へ外国資本を誘致するためのセミナーにおけるキム・ジョンウ(北朝鮮・経済協力推進委員会委員長)の演説は、その10日後になって、南北朝鮮に関するニュースと情報を提供している、アメリカに拠点をおくKorea WebWeeklyに掲載されたのである。
北朝鮮がインターネットが提供する、最も先進的な情報交換の形式という機会にたいへん興味を持っていることは明白になった。北朝鮮が公式のホームページを開く準備が始まったのだ。このプロジェクトは、北朝鮮におけるすべての計画と同様、神秘で覆い隠され、紛らわしい行動でいっぱいであった。
北朝鮮が公式のウェブページを開くという噂は、東京の消息筋からの引用といわれる、日本の読売新聞の1996年10月のニュース記事が発端であった。
このニュースは、日本の朝鮮総連とアメリカ情報局によって確認されたところによれば、KCNA(朝鮮中央通信社) は1996年12月5日、北朝鮮は創立50周年記念を祝って公式ウェブサイトを立ちあげるだろうと、というものだった。
しかし北朝鮮はインターネットに接続できないため、公式サイトは朝鮮ニュースサービス(KNS)……朝鮮中央通信社の東京支局によって公開されるだろう、と信じられていた。

1996年12月5日は過ぎ去り、KCNAウェブサイトは姿を現さなかった。北朝鮮の高官は、読売新聞のレポートが韓国によってでっちあげられた「冗談」以外の何物でもない、と語った。リ・ヤンス、KNS副編集長は「ニュースは間違っている。私はこのニュースが南朝鮮から来たものだと考えている。これは嘘だ」
この混乱は、彼がすべてのニュースレポートは少々早まっている、と語ったことでいくぶん落ちついた。「われわれの本局は平壌である。これまでのところは、われわれのインターネット使用について決断が下されていない。われわれは毎日、平壌より英文でニュースを受信している」。
リ・ヤンスは不平もこぼした。「誰かがKCNAのニュースをインターネットで使っている。きのう誰かが、われわれがすでにウェブページの公開を開始している、と言ったときにわれわれが発見したものだ。誰がこのようなことを行っているのかについては現在調査中であるが、事態は複雑だ」

最初にインターネットで北朝鮮の公式ニュースを定期的に出版し始めたのは、Kimsoftの運営するKorea WebWeeklyサイトである。アメリカに拠点をおくこのグループは、日本の情報源、アメリカ政府機関、また平壌放送の英語番組を毎日きちょうめんにモニターしている一般市民から、それぞれ別々にデータを受け取ってきた。もちろん、これらの情報の写しは受信状態や受信者の聴覚能力に大きく左右される。にもかかわらず、ほとんど1年の間、Kimsoftはインターネットで北朝鮮の公式情報のための唯一の情報媒介手段であった。
1996年12月、KCNAウェブサイトの出現を予期したKorea WebWeeklyは、平壌放送からの情報を掲載することを中止した。

公式サイト公開が遅れている理由は、どうやらサイトを運営するにあたっての思想性、もしくは報道の正確性についての、KCNA(朝鮮中央通信社)と朝鮮新報社との見解の相違である、と推測したのはKorea WebWeeklyの編集者だった。朝鮮新報社がアメリカン・スタイルのニュースウェブサイトにしようとしていたことに反して、KCNAは強硬なサイトを推し進めていた。理由が何であれ、北朝鮮がサイバーステージに最終的に姿を現したのは1997年1月のことだった。KCNAは東京のKNA支局を通じて定期的に公式ニュースを発表し始めたのである。

 

2:南と北 - インターネットでの宣伝戦争

大韓民国当局は、親北朝鮮サイトへの自由なアクセスによるイデオロギー汚染を懸念して、KCNAホームページが始動するずっと以前から多大な関心を払ってきた。始動の6カ月前、ソウル地方検察局は親北朝鮮的なインターネット出版物を読んだり複製、配布することをコントロールし、規制する方針であることを発表した。現在の法律では懲罰に関する法令がないことを認めつつも、韓国内のネットユーザーがインターネットに北朝鮮文書を掲載したり公表することと同様、破壊的なサイトへのアクセスを、現存のあらゆる法令を駆使して防ぐことを約束した。

最初のスキャンダルは1996年6月に起きた。インターネット上での北朝鮮のあからさまなプロパガンダがどんな成りゆきの可能性を持っているか、について韓国人が警戒し議論している間に、カナダの学生ディヴィッド・バーゲス (David Burgess:サスカッチュワン大学政治学科)は、おそらく彼が最近北朝鮮を旅行したことに感銘を受けてか、個人的なウェブページを開設した。このページは彼自身にとって多くのトラブルの元となった。というのも、このページは金日成の肖像画と、「偉大なる指導者金正日同志万歳!」など、いくつかの賛美の言葉が掲載されていたからだ。韓国はこの軽薄なパロディーを深刻に受けとめた。このサイトは直ちに不法とされ、韓国内からのアクセスはすべて禁止された。また韓国政府からの圧力により、バーゲスはこのサイトを閉じることを余儀なくされたのだ。

破壊的な資料が出版される機会を減らすために、韓国の大手インターネットプロバイダー(ISP)のHiTELナウヌリ(Nownuri)と千里眼(Chollian) は自社の検閲基準を入念に練りあげた。これらプロバイダーはユーザーのアクセスを拒否できることと同様、自社のコンピューターシステムにある記事を検閲、消去または制限することができるものの、ユーザーによって投稿された文書資料については責任を持たない。この目的のために、情報コミュニケーション倫理委員会(ICEC)は、電子コミュニケーション業務法第13条に基づき、1995年に設立された。ICECは、通信省が好ましくないとみなされたサイトを消去したり制限したりするよう、国内のISPに強制するために使用するサイト評価の権利をも有している。この事務所の実際の機能はサイトの評価ではなく、どちらかといえばインターネットの検閲であった。1996年12月、ICECは韓国のISP14社すべてに、世界中のいかなる親北朝鮮サイトにもアクセスを禁じるよう命令した。

人権組織、インターネット上の言論の自由とプライバシーの権利のための公的組織は、直ちに深い関心を表明した。
「コンピューター通信は地域やタイム・ゾーンを越えた、対話型で、同期的で、即時的なものである。このことはわれわれに、韓国や他の国から得たデータを使って、他の連合体と容易にコミュニケートする機会を与える。多くの企業や政党は、コンピューター通信が『電子通信による遠隔民主主義(tele-democracy)』への道であると信じている。しかしながらこの可能性は、言論の自由が保証されたときにのみ実現されうるものであり、ある特定の韓国政府の行動がこれを不可能にする」と活動家キム・ヨンシクは語る。

実際、現在の大韓民国国家保安法第7条は賞賛と共鳴に言及している:「国家の存在、安全または自由民主的基本秩序を危殆にする情を知りつつ、反国家団体又はその構成員又はその指令を受けた者の活動を賛揚、鼓舞、宣伝若しくはこれに同調するか、又は国家変乱を宣伝、扇動した者は、7年以下の懲役に処する」このため、韓国では北朝鮮の放送を聞いたり、北朝鮮のテレビを視聴したり、あるいは北朝鮮、もしくは親北朝鮮ウェブサイトに接近することは未だに違法である。北朝鮮の制度に賛同する言動をしたものは誰でも投獄されうるのである。大韓民国国家安全企画部(NSPA: National Security Planing Agency)と関係各署はオンライン・サービスを監視している。国家保安法のもとでは、「危険」とみなされる資料や政治的見解をインターネットで公開すれば逮捕されるのである。皮肉なことに、「制限された」論文は書籍や雑誌の形で合法的に出版されるかもしれない(1990年代初期より、韓国の書店は北朝鮮で出版された特殊な文学作品を複製し販売している)。

インターネット上での不審と思われる接触によっても投獄されるかもしれない。例えば、北朝鮮から外国に留学している学生と、韓国の学生とが接触を持つようになった場合(電子メールあるいはオンラインチャットなどで)、韓国の学生は7日以内にこの接触を韓国警察当局へ報告しなければならない。パク・ヨンオク中将・国防大臣補佐官がこの規則の理由を説明する:「われわれが北朝鮮のプロパガンダに対して何もしなければ、それによりわが国の高校生や大学生が誤った情報を植え付けられるであろう。一般の人々は、何が正しく何が誤っているかについての情報も、知識も、理解も持っていないのだ」。
禁じられたサイトに偶然アクセスしてしまった罪のない読者ですら、敵との協力のかどで告発され起訴される潜在的可能性を持っている。「国内のインターネットサービスプロバイダーの利用者で、破壊的な北朝鮮サイトに断続的、もしくは持続的に接近する者は追跡され、起訴されるであろう」とソウル地方検察局保安部長は警告する。

ただ国内のプロバイダーを監視することだけでは、インターネットへの接続を防ぐことができないのは事実である。地球規模のネットへの接続が自由である以上、数多くの外国のプロバイダーのリンクを経由して禁じられたページへアクセスする可能性はつねに存在する。それゆえ、韓国人(おもに高校生と大学生)のなかには、不法サイトを見つけようとネットを根気強く捜索するものもいる。したがって韓国警察は敏速に彼らを逮捕し、コンピューター、プリンター、モデムその他の周辺装置を没収するのである。これらの若者はいったん捕まると通常、裁判にかけられ有罪となる。しかし韓国の大多数のインターネットユーザーは従順であり、無謀なことをしないのである。実際に韓国人は、サイバースペースにおける北朝鮮の存在に対してのいかなる興味からも、自発的に身を引いているのだ。それゆえ、これらのサイトが対象としている4,300万の人々はいまだ、主体思想スタイルの技術とイデオロギーの果実を味わう機会がないのである。

しかし「左派」金大中が大統領のポストを継承した後、北朝鮮に対する態度は劇的に変化した。1998年4月、韓国政府は北朝鮮のテレビとラジオ放送への禁止令を撤廃する計画を発表した。カン・インドゥク統一部部長は、韓国民は思想的に成熟しており、共産主義者のプロパガンダに影響されることはないため、個人的には北朝鮮の放送を許可するのに問題はないと考えている、と語った。このような進展はたいへん有望に思えたが、この計画を実行するための具体的はステップは何もなかった。著名な公衆通信専門家によれば、過去の政府がこのような提案をした政治的目的を考慮すれば、この無為無策は驚くにあたらない。

1998年5月、韓国トップの情報局が、もはや拷問や人権違反、政治的事件への干渉を行わない、と宣言したことは注目に値する。韓国大統領・金大中氏への報告で、国家安全企画部(安企部)は、国家保安法を政治的目的に濫用しないことを誓った。対スパイ調査は法律の厳密な遵守にしたがって行われるということもつけ加えられた。リー・ジョンチャン安企部部長は、厳しい保安法への軽度な違反、つまり北朝鮮を賞賛したり、北朝鮮市民との接触を報告し損ねることは、検察官または警察に通報されるであろうと指摘した。彼は、対スパイ行為のこれら「軽度な」違反では原則として刑務所に入れられず、また安企部はスパイ容疑者を拷問でいじめないよう、科学的で合理的な調査方法を採用するであろう、とつけ加えた。

 

3:問題と展望

北朝鮮が最初の公式ページを公開し始めてから1年以上が過ぎ去った。平壌はインターネット上での北朝鮮の存在を大きくするために、努力と支出を段階的に拡大し続けている。朝鮮中央通信社と朝鮮新報社は新しい共同プロジェクトを作り、発展させるために一生懸命働いてきた。例えば、朝鮮中央通信社に追従し、朝鮮新報社は人民朝鮮紙の定期的出版を1997年7月より始めており、親北朝鮮の朝鮮総連がスポンサーとなっている。朝鮮新報社への祝辞として、ジュネーブ国連事務局の北朝鮮代表は「人民朝鮮の深く興味深いニュースは、インターネットのホームページ設立のおかげで、さらに急速に、さらに多く、世界の民族へ届けられるであろう」と記した。

人民朝鮮のニュースと論説は当初より外国人と海外同胞に目標を定めた。英語と日本語によるわずか一年間の運営のののち、朝鮮新報は韓国語版を提供し、読者層を際だって拡大している。朝鮮中央通信社はこの方針に追従し、オリジナルホームページの韓国語版を作成した。しかし、これら2つの組織によって公表された内容と資料のスタイルは、異なっている。

朝鮮中央通信社と朝鮮新報のインターネットサイトは、言語スタイルと資料の解釈に関して、大いに異なっているのである。前者、つまり朝鮮中央通信社によって出版されたニュースと記事は、主体思想や偉大な指導者への無遠慮な賞賛、北朝鮮の疑わしい業績の通俗化に満ちている。ページのデザインは味気なく、ただ一つの面白い特集記事(ほとんど一年間更新されていない)は金日成の出生地、萬景台の写真である。最初の6カ月、ミスプリントや英単語の綴りの間違いはごく普通のことであった。

インターネットでの朝鮮新報出版物は、穏当な言葉遣い(英語と韓国語)と外国の投資家を誘致するという強い願望から、朝鮮中央通信社のサイトとは際だって異なっている。しばしば外国の報道(韓国のものを含む) を引用し、いくつかの独立したインターネットサイトへリンクするなど(Korea WebWeeklyその他)、朝鮮新報は朝鮮中央通信社とくらべてモダンなおもむきを持ち、思想的にも薄味である。現在の朝鮮出版物について別の解釈を求める北朝鮮ウォッチャーは、異なる世代や社会グループを意図した種々の資料は魅力的であろう(人民朝鮮、イオ・マガジン、朝鮮新報やその他のサイト)。

KCNAニュースに関しては、朝鮮の文章に慣れた人にとっては朝鮮新報が英語や日本語で提供する資料よりもはるかに面白いものを見出すことができる。1996年12月以降に出版された労働新聞……朝鮮労働党の組織……の記事一覧、北朝鮮の統一政策を解明した歴史的文書、羅津・先鋒経済特区開発の情報、北朝鮮の課税規則、北朝鮮の指導者金正日の主要な労作などである。

金正日党書記・党総秘書の作品は通常インターネット上で全文が出版され、ある特定の北朝鮮称賛のページの核を形成する。カナダの学生の不成功の経験は、オーストラリアで試みられた。金正日著作研究オーストラリア・センターは1998年2月16日、「偉大なる指導者金正日党総書記のめでたい誕生日を記念してブリスベーン(クイーンズランド)で設立された。また、敬愛する最高指導者である金正日総書記の生誕56周年を迎えるにあたって、オーストラリア・センターは偉大な指導者のためだけに専念したホームページを開設した」。党総書記の巨大な肖像(これは明らかにバーゲスのサイトの複製)がオーストラリア・センターのホームページを開けるのだ。
貸出図書館を経営し、金正日の著作に関する現在進行中の研究を支援するセンターの目的は「金正日の主要な哲学的作品に特別な注意を払いつつ、金正日の著作の研究と促進を奨励する」と述べられている。

このページはおそらく、北朝鮮がインターネット上に提供している唯一の知的制作物である。孤独なスターリン主義の国からの、あらゆる他の情報がきちょうめんに配給され、思想的に割り当てられているのである。これは北朝鮮がサイバースペース上で行き着くゴールのような、奇妙な印象を与える。一方では、平壌は潜在的投資者との緊密な経済関係を確立することを熱心に望んでいるように思われる。また一方では、北朝鮮は国の真の状態に関する情報を隠し、外部世界とのコミュニケーションを妨げることに全力を尽くしている。

この相違は、北朝鮮国内の報道出版物が、国外向けの平壌公式声明と比較される時、さらにいっそう明確になる。北朝鮮は、妥協の可能性と国際社会での経済統合に向かっている、とインターネットの読者を納得させるという目的のために、朝鮮新報は時間と費用を費やしている。一方、朝鮮中央通信社は、まさしくその経済のグローバリゼーションのアイデアと、グローバルな社会の「虚偽」の原則を明白に非難する北朝鮮国内の報道機関が編集、署名した記事を定期的にインターネットに流しているのである。

民主朝鮮(北朝鮮で2番目に大きな新聞)の記事が、公式に採用されたトーンを明らかにしている。インターネットと科学技術の、グローバルな社会に向かってのひと押しは、自らの資本主義の終わりのために発展途上国を搾取する、帝国主義者によるもう一つの陰謀であることを訴える。帝国主義者は経済の「グローバリゼーション」が発展途上国の経済開発に有益であると宣伝している。……彼らは同じく経済の「グローバリゼーション」がすべてのマーケットで国と国の間で自由な競合を促進し、それぞれの国の国内経済の開発に有益なものをもたらすと主張している。しかし、かれらの主張は非現実的な詭弁である。

労働新聞がこの意見に共鳴する。「アメリカやその他の西側諸国の唇に乗せられた『開かれた社会』の本質は、世界中に現れては失敗した「世界主義 (cosmopolitanism)」の事実上の変形である。この目的は支配と征服に向けられる。
「(彼らの)『世界的な構造』への呼び声は、その邪悪さにおいて『世界主義』をはるかに凌駕する……」

これら2つの示威行為の叫び声は、即座に KCNA によってネットユーザーに届けられ、北朝鮮が世界にいっそうオープンになろうとしているという錯覚のような印象を容易に破壊するのである。 インターネットでの情報の送受信の機会は、インターネットこそが毎日の宣伝とディスインフォメーションにとってまさしく洗練された情報メディアであるために、平壌王朝に独占され利用されたのである。実際に、北朝鮮はペレストロイカとグラズノスチにつづく旧ソ連の憂鬱な体験を繰り返すことや、外国資本中心の 経済改革に着手するという、中華人民共和国のまねをすることに強く反対している。
これまでのところ、サイバー・ステージでの北朝鮮の 出現は、未来の千年期の技術と旧式の共産党体制の不思議な混合以外の以外の何ものでもなかったのである。

--------レオニード・A・ペトロフによる北朝鮮に関する記事はこちらをご覧ください。
http://www.fortunecity.com/meltingpot/champion/65/index.html