正式名称:T−54B/T−55A/AM/AM2PB 主力戦車

開発国:旧ソビエト連邦

配備開始年度:1954年(T−54B)、1960年(T−55A)、 19
68年(T−55AM初期型)、1974年(T−55AM後期型)、1990年(
T−55AM2PB)

重量:36.6トン

エンジン:ディーゼル、580馬力

全長:?

全幅:?

搭乗員:4人(戦車長、射撃手、運転手、装填手)

舗装道路走行時の最大速度:時速48km

主武装:100mm D10T 滑腔砲

副武装:12.7mm DShK及び7.62mm SGMT二門(T−54B)、
12.7mm DShK及び7.62mmSGMT(T−55A)、12.7mm DSh
K及び7.62mmPKT(T−55AM、T−55AM2PB)、主砲弾としてAT
−10対戦車ミサイルも使用可能(T−55AM2PB)

暗視装置:アクティブ赤外線式。T−55AM2PBのみ光増幅式

測遠機:スタジア式。T−55AM後期型からは基長線式。

「現実では?」
T−54/T−55シリーズは、ロシアが戦後初めて設計した戦車で、総計10万両以
上が生産されていると言われています。T−34/85と同様に、第二次世界大戦の
ころの設計思想が生かされているため、車高が低く、シルエットが小さい戦車になり
ました。欠点としては、故障が多く、居住性が悪いことがあげられています。
しかしながら、出現当時はこのような欠点が西側に知られていませんでしたし、数値
的には、アメリカ陸軍の主力戦車M48よりも装甲と火力の両面で勝っていたため、
同軍の関係者に危機感を抱かせるには十分な存在となりました。
結果として、「T−54/T−55に対抗できる主力戦車」の必要性が叫ばれ、M60が
設計されることになったのです。

T−54BからT−55AM初期型までの規格は、装甲、武装、その他の装備品に関
しては、ほとんど同じです。表面的には、射撃統制装置と測遠器ががほんのわずか
改善された程度の違いしかありません。

T−55AM後期型は、それまでのスタジア式測遠器をより精度の高い基長線式測
遠器に換装した規格です。

T−55AM2PBは、T−55の最新型の規格で、主砲からAT−10対戦車ミサイル
を発射することができます。また、装甲には改良が施され、HEAT弾に対する防御
力が大幅に向上し、さらに、射撃統制装置と暗視装置もより新しいものに換装されて
います。しかし、改修されたとはいっても、開発されてから40年近く立っている現在
では旧世代の戦車となっており、主力戦車の能力が保持されているかどうかは大い
に疑問が残るところです。



「物語中では?」
反帝同盟軍が運用するT−55は、T−55AM後期型です。開戦当初には、T
−55後期型よりも古いタイプの規格も配備されていたのですが、戦闘中に撃破
されるという形で戦場より駆逐されてしまい、(物語での)現在においては、T−5
5といえば、T−55AM後期型のことを指すようになってしまいました。
国連軍のM60と比較すると、T−55の勝っている点は、車輌としての構造の単
純さくらいです。特に、命中精度は劣悪で、T−62MやT−62M1の水準にす
ら及ばないため、M60と遠距離(2000m以上)で戦闘を挑めば、間違いなく、
T−55が撃破されてしまいます。それゆえに、T−55だけで行動をとる場合は
なく、戦闘能力の高い他の車輌(主にT−62)と行動をともにします。主任務は、
たいてい、そういった上位の車輌の援護が割り当てられます。
遠距離での戦闘を行う場合には問題がありますが、近距離(1000m以下)では
M60の正面装甲を貫徹するのに十分な威力をもつ主砲を装備しているため、
地形を利用した待ち伏せでは、T−55は有用な戦力となりえます。このような理
由から、反帝同盟軍側では、T−55AMは旧式とはいえ運用法さえ誤らなけれ
ば、十分な戦闘能力を保持していると見られています。